タケからアルバム制作にあたって、プロデュースに協力を求められた時、
僕は二つ返事で了承した。
なぜなら、僕は彼の創り出す音の世界に、とても魅力を感じていたからだ。
その思いは、音大で知り合って以来ずっと変わらない。
このアルバムに収録されている曲は、今までも色々なフォーマットで演奏されてきた。
ライヴで再現するに、限られた編成によるアレンジを余儀なくされたものもある。
しかし、ようやくタケが思い描いていた理想の世界を形にする時が来た、
という思いであった。
タケが僕に求めていたのは、単に楽曲がのるカタログを作るのではなく、
この作品をアルバムとしてまとまらせる事であった。
ひとつひとつのピースが、互いを求め合うように有機的に結びついた時、
そこには一筋の光が差す。
それは、作り手も受け手も感じ取ることができる。
そしてその光は、作り手にとっては大切な道標となる。
それらを踏まえて僕が一番苦労したのは、
どのように客観性を保って接する事ができるのか、という点であった。
タケの音楽の前では、僕は単なるいちファンでもあるのだ。
そういった葛藤の中で、僕なりに幾つかの提案をし、彼はほぼ全てを受け入れてくれた。
結果、このアルバムは素晴らしい作品に出来上がったと、僕は思う。
沈丁花においては、生命の誕生、その息吹を想わせ。
Leisure Pleasure Treasureでは、幼少期に感じる歓喜と不安の渦、
Requiemにおいては、初めて体験した深い悲しみ、そして祈り、
Don't Rushで、大人の世界に憧れ、
Forestyでは生命の重みについて考え、
Two Days Lateの、現実と夢の世界との狭間に漂うかの如き時を過ごし、
Daddy's Homeで静かに振り返る。
僕としては、ある一人の主人公が歩んできた人生を、音を使って表現出来たと思っている。
もちろん、聴く人がそれぞれの想いで聴いてもらいたい。
聴いた人の数だけ、様々なストーリーがある。
音楽に限らず、本来芸術とは、受け手の想像力を最大限に喚起するものでもあるのだ。
最後にこれだけは言っておきたい。
この作品には、
タケのミューズに対する献身的な愛と、
人類に対する希望が詰まっている事を。
一人でも多くの人にそれが伝われば、僕としてもこの上ない喜びである。